2015/12/03 読まなくていい日記

電車では本を読む



「父が、逮捕された」 中学生が書いた作文コンクール受賞作が衝撃的だと話題に
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1512/02/news138.html

通勤が「電車」になると本を読むようになる。「バス」だと読まない、というか読めない。普段は大丈夫でも、バスで本を読むと必ず酔う。

それでも夏場はバス通勤するのは、ほぼ確実に座れて20分ほどの時間を眠って過ごせるから。そして、雪で渋滞する冬は電車通勤に切り替える。こちらは座れないから眠ることもないし、15分ほどの乗車時間は本を読むにはちょうど飽きが来なくていい。

元々本が好きなわけじゃないけど、子供の頃から家にはやたら推理小説があったので読むものには困らなかった。山村美紗の少しエロい描写も、西村京太郎の少々ずさんなトリックも、北方謙三の時代小説も一番読んだのは小学校の頃の話だ。

気楽に読める本が好きだから、それほど著者にはこだわらないし、タイトルだけで適当に選ぶことが多い。大きな図書館が遠く、近場の図書館は時間が短く車も止められない当地では、なかなか本を借りないが、その代わりブックオフ系の店は充実してるのでやたら100円で購入しては、読んだ本は溜めておいてまた売りに行く。もう、家に本を置いておける環境じゃないのだ。ただでも我が家の「私のスペース」にはレコードが大量に鎮座している。

先日も10冊ほどまとめてブックオフで購入した。作者はあまり気にしていないが、よくわからない描写をする女性作家の作品はちょうど通勤時間に合うようで、好みだったりする。

ちょうど今日読み終わったのが江國香織氏の「落下する夕方」だ。この方は何冊か読んで、ふわふわした不思議な描写が少々癖になる、多分この方の本は2冊目だが、唐突な終わり方だったり、「説明」しないところは連載小説だからなのかもしれない。


このニュースで唐突にそんなことを思ったのは、私も「作文」は好きだから。原稿用紙に字を埋めていく「作業」が好き。

作文って起承転結を一応は考えなきゃならないので、ノンフィクション短編小説を書いている感覚なんだよね。(当時はそうは思ってなかったけどさ)多分私の日記の文体は当時とそれほど変わっていない。要点をまとめず、あっちこっちにふらふらしながら、着地点を書きながら探っていく。だからタイトルと中身はたいてい一致しない。というか、最初に考えたタイトルから結論が変わってしまい、そしてタイトルを考え直すのが面倒になる。

だから「夢の跡」というタイトルからこの作文を書いた中学2年の著者には驚く。ノンフィクション小説としても引き込まれるものがある。原稿用紙80枚とのことでちょっとした小説のボリュームだと思う。指導教員がついているが、どういうアドバイスをしたのか気になる。どう考えても「作文」の文体では無いから。短編小説の新人賞を見てるような、そんな感じ。是非80枚そのまま読んでみたい。


今でもちゃんとした文章を書く人にあこがれる、誤字脱字無く、起承転結はっきりした「普通の」文章が書きたいものだと思う。

そしてそのヒントに誰かの小説を読む。

ちなみに読売サイトで紹介されている3作品どれも、なかなか読み応えがあって、新しい発見をした気がします。読み手のことを考えて文章を作るのって難しいよね。

さらについでに、昨年の大臣賞も同じ高田愛弓氏だった。同じような文体だなぁと思ったので、さすがに驚いた。この子自体が波瀾万丈の人生であるのかもしれないけれど、どんな環境で育った子なんだろうね。
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