2022/08/18 歌謡曲が好き レ・コード館 ジュークボックス レコードが好き

新冠町「レ・コード館」に行ってきました


目次
  1. レ・コード館とは
  2. レ・コード館関係の報道
  3. 実際にレ・コード館にお邪魔しました
  4. さいごに

過去に何度か訪問したことがあったのですが、同行者に気を遣って細かく見ることがかなわなかったので、今回単独行で行ってきました。
私のような昭和歌謡マニアでも充分に楽しむことができるであろう施設、新冠町の「レ・コード館」です。

レ・コード館とは

新冠は北海道の日高振興局管内、札幌から130kmほど、高速道路なら2時間とかからず行くことができる海沿いの町であります。競馬には興味が無くとも「ハイセイコー」や「ナリタブライアン」なんて馬の名前は聞いたことがあるかと思いますが、その馬産地がここ、新冠であります。
そんな新冠町にありますのが、レ・コード館であります。札幌からの高速バスのバス停も近隣にある道の駅「サラブレッドロード新冠」が併設されておりますのでドライブの傍ら訪れたことがあるという方もおられましょう。

レ・コード館は1997年(平成9年)6月8日に開館しています。そもそもなぜ新冠にレコード?という疑問はありましょう。新冠町が「レコード音楽による町づくり」に着手したのは平成になってすぐの1990年に遡ります。北海道のどの地方都市でもそうなのですが、1960年代に1万1千人を超える人口がいた新冠も平成2年の国勢調査では7千人を割り込む状態になります。
その頃、新冠町職員とその仲間たち町内のレコード愛好家が当時の政策で全自治体に使用用途を限定しない1億円が配られた「ふるさと創生一億円事業」を使ってCDに取って代わられ、今後捨てられ散逸していくであろう「レコードを集めようじゃないか」と町に提案するところから新冠とレコードの関係が始まります。
「一枚のレコード」という名称で活動していたレコード愛好者グループに賛同したレコードの寄付が全国から集まり始めます。1993年には12万枚、CDに変わり始めたからこそ集められたという時期の問題もあります。そして、当時ですら珍しいレコードデータベースの運用を開始します。当時一般からアクセスできるレコードデータベースは国内初とみられます(国内初のレコードデータベース自体は金沢工業大学のものではないかと思われます。ただし、当時は「パソコン通信」時代で他社からの接続は行っていなかったはずです。

金沢工業大学 ライブラリーセンター PMC(ポピュラー・ミュージック・コレクション)
https://kitnet.jp/pmc/index.html


しかし、レコードの寄付が増えると、その保存・公開の場所が必要になります。少し時を巻き戻しまして1991年、新冠町は収集したレコードを広く聴いて貰う博物館を柱とし、道の駅機能も含めた総合計画をまとめます。とはいえ、町民にレコードを保存する施設を作ると説明しても難しかったことでしょう。それがどう新冠に関係するのか、そして、それが本当に目玉になるのか?それよりも図書館が欲しいなどの声に翻弄しながらも根幹の事業としての「レコード」にブレがなかった。
結果、図書館やホールを併設するなど得られる補助金を最大限に活用し、総工費25億円をかけて完成したのが「レ・コード館」となります。

あくまで、町とレコードというのは特段の結びつきはありません。しかし、ここに、公的な施設だからこそとレコードを寄付するという面はありましょう。将来にわたって保存してくれる場所である。それが大事なことです。これはなかなか民間ではできないことでしょう。2017年ついに寄付されたレコードは目標としていた100万枚突破します。そして、目標はデータベースの充実化に移っていくのです。

1990年の構想開始から27年、レ・コード館開館から21年での目標達成、そして、今、データベースが充実していくのを何度か訪問するたびに感じて、当サイトのあまり更新できないデータベースにも刺激をいただいている次第であります。


レ・コード館関係の報道


レコード音楽と町づくりを語ろう-新冠
1991/10/30 北海道新聞
> 日高管内新冠町主催の「’91新冠・国際レコードフォーラム」が十一月九日午後一時から、町民センターで開かれるが、参加を呼びかけるポスターも出来上がった。入場無料。
 町は本年度からレコード音楽による町づくり事業に着手。国土庁の過疎地域活性化推進モデル事業の指定を受け、レコード集めを行っている。二年以内に十万枚、最終的には百万枚を集めてレコード館を建設する考えだ。


数年後にはレコード館も-新冠
1991/11/09 北海道新聞
> 日高管内新冠町は「レコード音楽による町づくり推進室」を旧新冠主畜農協内に設置し、これまでに収集したレコードの分類、整理活動を始めた。
 町による「レコード音楽による町づくり」構想は、町内のレコード愛好家でつくるグループ「一枚のレコード」が提案。CDに押されて国内での生産も打ち切られる運命にあるレコードを、二十世紀の文化遺産として収集しようという計画だ。
 これまでに放送局、個人などから寄贈を受けたレコードは約一万五千枚。当面の目標は十万枚で、最終的には百万枚のレコードを集める。
 事業の中核として数年後に「レコード館」を建設する計画だ。最初の大きなイベントとなる九日の国際レコードフォーラムで活動に弾みをつける構えだ。


レコードでまちおこし。新冠町、データベースを公開-曲名や演奏家、情報2万5千件。全国へ向けパソコン通信サービス
1993/05/28 北海道新聞夕刊
> 【新冠】「レ・コード&音楽による町づくり」を進めている日高管内新冠町が二十七日、これまでに収集・蓄積したレコード情報データベースのパソコン通信サービスを試験的に始めた。レコードのデータベース公開は全国でも珍しい。
> このデータベースが、八七年から同町が運営するパソコン通信サービス「ハンガンネット」に接続され、全国のパソコンから利用できるようになった。タイトルや曲名で検索すると、作曲者、指揮者、演奏者、オーケストラなどが表示される。


<さんでートピッピクス>来年度「レ・コード館」設計へ 新冠 音楽の町を具体化 来月27日にはフォーラム
1993/10/17 北海道新聞朝刊
> 【新冠】「レ・コード&音楽による町づくり」を進める新冠町の構想は、寄贈されたレコードが既に十三万枚を超え、来年度は拠点施設の「レ・コード館」設計に着手の意向だ。いよいよ、収集レコードを活用した事業を展開する段階に踏み込む。
 同町は、CDの普及で影が薄くなったレコードを二十世紀の文化遺産として保存・継承して町おこしを-と、一九九○年から全国に呼び掛けてレコード収集を始めた。道内から広島、鹿児島まで全国から寄せらたレコードは約十三万枚で、今も毎日、数件の寄贈が続く。
> 同町がこの事業の拠点と位置付けるのが「レ・コード館」。約二十億円の規模で同町中央町の国道沿いに、百万枚分のレコード収蔵スペース、レコードの歴史や文化、技術などの書籍、資料を収集する図書館、ロウ管蓄音機から最新オーディオ機器までを展示する博物館、ホーン型スピーカーを設置したレコード鑑賞用ミニホールなどを備えた施設を構想。来年度に実施設計開始、その後二、三年以内の完成をめどに基本構想が練られている。


新冠「レ・コード館」 回想の35万枚ここに 感じて学ぶ音楽文化 試聴はすべて自由
1997/06/17 北海道新聞夕刊
> CD全盛の今でも、レコードのぬくもりある音を愛する人は多い。日高管内新冠町は今月八日、レコード音楽の魅力を伝える道内初の展示・体験施設「レ・コード館」をオープンさせた。約三十五万枚のレコードと、貴重な蓄音機などを集めた同館を訪ね、「二十世紀の偉大な音楽文化」(同館)に触れた。
> 同館の魅力はすべてのレコードが自由に聴けること。開架式の棚に並べられている約八千枚は、自分で取り出してプレーヤー(五台)にかけて試聴できる。このほかのレコードもすべてデータベースに収録されており、簡単な手続きだけで「貸し切り」のリスニングブース(五室)で思う存分、楽しむことができる。
 さらに、国内最大級の「オールストレートホーンスピーカーシステム」を備えた「レ・コードホール」(約三十席)も。長さ三・四メートル、開口部の幅一・七メートルの低音ホーンなど、四つの音域のスピーカーから生み出される「究極のレコードサウンド」を体験できる。
> このほか展示部門の「ミュージアム」には、初期のロウ管レコードや蓄音機、レコード針などを集めた「世界のレコード発展史ゾーン」、明治時代の長唄、義太夫から昭和の流行歌までの変遷をたどる「日本のレコード文化史ゾーン」などがあり、レコードの歴史や時代背景を学ぶことができる。また、歌手名、年代などの手がかりから思い出のレコードを探せるパソコンもあり、魅力的な内容になっている。


<文化響かせ20年 新冠レ・コード館物語>上 試行錯誤 音楽文化 町の誇りに
2017/06/06 北海道新聞 苫小牧・日高面
> 5月中旬、125枚のレコードが新冠町のレ・コード館に届いた。発送元は東日本大震災で被災した宮城県気仙沼市。少し色あせた赤いジャケットの真ん中で故坂本九さんがほほ笑む。シングル盤「幸せなら手をたたこう」が記念すべき1枚となった。開館から20年、構想からは30年近くがたち、目標の100万枚をようやく達成した。大津波を免れ、新冠にやってきた貴重な1枚だった。
 「馬産業は世界に通用するレベルになった。次は世界に通用する人づくりだ」。1989年6月に初当選した新冠町の岡裕町長(故人)は1年後、町づくりの起爆剤を模索していた。
 町民からアイデアを募った。岡町長の目に留まったのが、レコードを「20世紀の文化遺産として後世に」という町内の愛好家グループの案だった。音楽文化の主力がレコードからCDに移行しつつあった時期。この提案を人づくりに結びつけ、話は動きだす。
> だが、次の課題に直面した。収蔵施設の建設だ。新冠町は70年代前半に一世を風靡(ふうび)したハイセイコーの故郷として知名度を上げた。しかし、町内を通過する国道沿いには目立つ施設がなく、軽種馬関係者が通り過ぎてしまうことも。92年、「町のシンボルになるような施設を」と、収蔵施設建設の検討が始まった。
> 推進室の職員は各地の事例を検討した。そこで行き着いたのは、開館後も町民自ら活用法を検討し、実践する大切さ。町民一人一人が「舞台」で主役に、と500人規模のホール併設も決めた。総事業費25億円。町の一般会計予算の半分という巨費だった。
 「99・5%が反対だった」(当時の推進室職員)という空気の中、町民理解を深めようと試聴ブースを設け、レコードコンサートも開いた。施設の模型と蓄音機を携えて町内を歩き、意義を力説した。蓄音機のぬくもりある音色に、苦労してレコードを買い集めた過去を思い出し、涙を流すお年寄りもいた。
 レ・コード館は95年に着工し、97年の開館が決まった。目玉となる町民ホールのこけら落とし公演をどうするか―。「町民の芸術文化を育む、人づくりの拠点施設」にふさわしい妙案が浮上した。


<文化響かせ20年 新冠レ・コード館物語>下 人づくり 舞台に町民 観客魅了
2017/06/07 北海道新聞 苫小牧・日高面
> 「町民が作り、町民が舞台に立つ演劇をやろう」。1995年7月、新冠町レ・コード館が開館する2年前のことだ。館内ホールのこけら落としイベントを企画する職員の会議でアイデアが出た。著名人や地元ゆかりの出演者ではなく町民を主役に据える―。レ・コード館を人づくりの施設にするという決意だった。
> そして迎えた97年6月8日。公募した約350人が制作・出演し、新冠の歴史の流れを描いた音楽劇「飛翔にいかっぷ」は昼夜2回、満員の観客を魅了した。
 関わった有志は98年、市民劇団「ど・こ~れ新冠」を結成。2016年1月には「私とお姉ちゃんと座敷わらしと」で念願の札幌公演も果たす。会場の「かでる2・7」を満員にした。
> 04年には「レ・コード館ジュニアジャズバンド」も発足した。町内のサークルが指導する週1回の練習に加え、月に数回、札幌のプロ演奏家も指導に訪れる。ここを巣立った坂本菜々さん(21)が名古屋拠点のC.U.G.ジャズオーケストラに加入し、15年にプロ奏者としてスタート。「ジャズバンドとレ・コード館は人としても奏者としても育ててもらった場所。これほど恵まれた環境は他にはない」と坂本さん。
 開館と同時に、コンサートやイベントを主催する町民の「レ・コード館自主企画委員会」もできた。行政から独立し、有名歌手のコンサートから狂言、落語まで手がけ、昨年度は八つのイベントを実現させた。04年にNPO法人となり、名実ともに自立への道を歩む。町民ホールは昨年度、利用可能だった359日間で396件の利用があった。
> 当初目標のレコード収蔵枚数100万枚を突破した今、狙いは所蔵レコードの資料価値向上へと移った。データベース化が完了した所蔵品は半分足らず。町民の文化活動のための施設とはいえ、日本一の所蔵施設としてレコードという音楽遺産の整理は急務だ。

反対の声が多かった「レ・コード館」が今は町の顔としての役割、そして、文化発信の場所ともなったということが見て取れましょう。本当にここまでぶれずにやってきたなと、感銘を覚えるのです。


実際にレ・コード館にお邪魔しました

レ・コード館は何度も訪問している施設ではあるのですが、今回は単独でしたので、隅々見て回っています。
レ・コード館外観
レ・コード館外観
レ・コード館外観
レ・コード館外観
入館料は大人300円・高校生200円・小中学生 100円・乳幼児無料とリーズナブルです。展望台のみの利用は無料です。
レ・コード館内部
レ・コード館内部
レ・コード館内部
レ・コード館内部
レ・コード館内部
レ・コード館内部
レ・コード館内部
レ・コード館内部
エントランスから展望塔へのエレベータ付近です。壁全面にレコードジャケットが飾られています。

見えちゃいましたね?ジュークボックスが稼働状態で置いてあります。100円を投入し数字を合わせると自動的に演奏されるものです。せっかくなので久保田早紀さんの異邦人をかけてみます。ジュークボックスといえば異邦人のイメージなのですよ。
ジュークボックス
ジュークボックス
ジュークボックス
ジュークボックス
WURLITZER社はアメリカのジュークボックスメーカーでX200は1979年頃のドイツ工場製の製品と思いますので、ジュークボックスとしては後期の製造になります。この時代のジュークボックスは動作を見せることよりも、安定して稼働することが優先事項だったようでこのX200のような200タイトルが収納できる高性能機に変わった時代でもあります。100枚のドーナツ盤を収納でき、A面、B面両方が再生できます。これぞ最高峰という機械になりますね。よい機械と出会えましたし、これが現役で稼働していることが本当に嬉しい。(最近まで故障しており、本年4月から再稼働することになったそうです)なお、展示品は一部を透明にしていますので、内部の動作も見ることができます。

さて、先ほど入館時に、レ・コードホールでのリクエスト曲を聴かれていました。いやぁ、最高峰のレコードホールでの演奏、聞いてみたい曲がたくさんあったのですが、80年代歌謡曲女性ボーカルでチョイスしていただきました。今は一組毎に入る形になります。

まず、入口でスピーカーの「裏側」を見ます。
レ・コードホール
レ・コードホール
レ・コードホール
レ・コードホール
そして、ゆったりした椅子が並ぶスペースです。
目の前にスピーカーが鎮座します。高域・中高域・中低域そして低域と分けられた各スピーカーがこちらを向いています。
レ・コードホール
レ・コードホール
今回の演奏曲目は
・五輪真弓「恋人よ」(1980年)
・安全地帯「ワインレッドの心」(1983年)
・竹内まりや「元気を出して」(1988年)
・米米CLUB「浪漫飛行」(1987年・アルバムKOMEGUNY)
驚きました。レコードが純粋な「音」を溝に刻むという特性を考えても、それをどう正確に再生できるか?という面があります。解像度がはっきりするというか、私のつたない語彙力では表すことができないのですが、個々の音がきっちり再生されるという意味を感じます。そういう意味で一番驚いたのは「元気を出して」です。目立つコーラスの薬師丸ひろ子さんだけではない、個々のコーラスがきちっとはっきり聞こえます。それ以前にギターの弦が響く様が見えるかのように聞こえます。この選曲はナイスです。
「高級な」音楽を聴くための機材という感じで対峙したものの、そのシステムは非常に素直な音を奏でました。個々の印象にある各曲のイメージを逆らわずにこう聞こえて欲しいという要求通りの音を奏でるというか、これはきっと実際に聞いて実感しなれば伝わりません。是非現地でご体感ください。
こちらのプレーヤはビクターのQL-V1で1995年頃の発売、ほぼ最後の完全国産機種と思われます。80回転のSP盤も聞けるように特注したものとのことです。このプレーヤを見るだけでも価値があるかもしれません。通常なら定価20万円くらいの機種ですが、今や状況がよいものでしたらそんな値段では入手できないでしょう。


有料エリアのミュージアム部分にお邪魔します。
レ・コードミュージアム
レ・コードミュージアム
ミュージアム部分は有料エリアの展示品ですので撮影していませんが、まず、レコード黎明期の様々な機材が展示されているのは素晴らしいことです。ティンフォイル、グラフォフォンは世界中にも数台しか無かろうと思われますので貴重です。
なお、展示を予定していたエジソンファイアザイド-A型蓄音機は1995年に盗難に遭っています。ミュージアムではブルーアンベロール蝋管のファイアザイド-B型が展示されていました。

企画展として糸居五郎氏の様々な収蔵品を展示しています。2013年に糸居氏の親族が1万点あまりのレコードとともに関連する品々を寄贈され、その一部が展示されています。
昨年死去された音楽プロデューサー酒井政利氏の展示もあります。酒井氏は「レ・コード館」の名誉館長で資料の提供などもされていたとのことです。歌謡曲黄金時代の手帳などの品々はゆっくり見たい一品であります。同じく昨年亡くなられている寺内タケシさんのギターも本人から寄贈されたものです。
日本レコード大賞に関する展示だけでもかなり時間を取られることでしょう。
また、レコードを制作することに関しての展示もあり、カッティングマシンなどレコード文化そのものを残していくということを念頭に置いた展示がされています。

日本のレコード文化に関しても割いており、ここも時間を取られます。レコードの海賊版文化と低価格化による普及というのは両輪の部分ではありますが、難しいものです。そのレコードが一般的になるまでが面白い内容であります。


さて、いい時間を過ごしてきましたがお腹が空いてきました。優駿の塔という名前がついています展望塔に昇ってみましょう。入館時に展望塔内にある喫茶店「喫茶ぶれす」の100円引き券が添付されています。コーヒー200円が100円引きです。地元のものと思われるパンと一緒にいただきます。
優駿の塔
優駿の塔
優駿の塔
優駿の塔
それほど高い場所ではないものの、海岸線が一望できていい町だなぁと思ったりします。地元の方の憩いの場にもなっており、喫茶店があることで、ただ見て降りるわけではない、滞在ができる場所になっているのがいいですね。夕暮れから夜に来てみたい場所です。


最後に、有料のリスニングルームを使わせていただきました。
リスニングルーム
リスニングルーム
リスニングルーム
リスニングルーム
ターンテーブルは私の使用したお部屋ではTechnicsのSL-1200MK3が稼働しており、1990年代初めのターンテーブルとしてはド定番と言っていい機種になっています。カートリッジ、針は確認してこなかったけど、まぁまぁ荒い使われ方をしてるようですので、シェル一体のそこそこよいものが付いているようですが、若干減ってるようにも。
カウンターに頼めば収蔵レコードをおだしいただけるのですが、今回はエントランス部に架されているレコードからいくつかチョイスして聞いてみます。
リスニングルーム
リスニングルーム
ミノルフォンヒットパレード '75 歌の祭典は初聴取。ミノルフォンレコードは1965年に太平音響(太平住宅社長氏が創業者)として発足、現在徳間ジャパンコミュニケーションズでこのレコードはその10周年記念となります。ミノルフォンは自前のプレス工場を持たないレコード会社で、この時期は既に「徳間ジャパン」のレーベルだったと思われます。千昌夫、五木ひろし、森昌子などなどオールスターキャストって言い方ができるライブテイクは貴重です。中山恵美子さんの「マイホームタウン"ギンザ"」が素敵すぎて、家帰ってもう一度探して聞いたくらいに。

リスニングルーム
リスニングルーム
さらに、こんなレコードもありました。
小泉今日子さんの「スターダスト・メモリー」は紙ジャケ版で、歌詞カードが写真集のタイプ。
国実百合さんの2枚目のシングル「ボーイ・フレンド」、作詞は麻生麗二となっていますが売野雅勇さんの変名ですね。(シャネルズとかでもその名前で作詞されている)
そして浅野ゆう子さんの「ムーンライト・タクシー」は見つけて小躍りしちゃった1曲。

こんなんであっという間に帰る時間。それなりに時間取ってたんだけど全然足りない。

データベース
データベース
データベース
データベース
データベースはフロントエンドをAccessによるものに改められたようです。検索速度が速くなりました。件数的にはバックエンドもAccessかもしれませんが、充分な内容が入っています。


さいごに

1990年当時急速にCDに移行しアナログレコードは減少の一途、このときにレコードを守らなければ、もう聞くことができなくなるのではないか?と思い、この施設まで完成させた熱意と、それが今も町に息づいていることが本当に素晴らしいことです。
実際は急激なCD移行で8cmCDをはじめとして大量消費の時代になり、そのようなCDが聞くのが難しい時代になってきています。8cmCDは手軽すぎてすぐに捨てられてしまうという問題があります。むしろアナログレコードは残り続けたともいえます。
今、配信の時代になり、記録としてのレコード・CDを残さないアーティストまでいる時代に、やはりレコードとして残した、アーティストが関わった人が作り上げた証、これを残していくということは素晴らしいことです。これをデジタル音源としても残していくのか、どう後世に残していくのか、あらたな仕掛けが必要な、そんな時代でもあります。

新冠町の人口はその後少し緩やかになったとはいえ、減少傾向は続いており今は6000人ほどです。この建物がどう維持されていくのかはわかりませんが、できるだけ長く、そして、さらに発展していくことを望んでいます。

人類が滅んだ後も残り続けそう... 100万枚のレコードを集めた施設のロマンが凄い
https://j-town.net/2022/07/28336791.html?p=all#jt-comment


単純に、レコード聴いて、展望室でコーヒー飲んで、レコード聴いてって一日中いたい。そんな場所です。素敵な場所です。私のつたないレポートよりももっと楽しい記事は検索すればいっぱい出てくると思います。でも、現地で、現地で聞く、そして触れることが一番です。レ・コード館ではイベントもされていますし、レコードコンサートも随時開催されています。是非現地を訪問してみて欲しいなと思うのです。

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