2022/07/28 歌謡曲が好き 葛城ユキ 80年代歌謡曲 楽曲紹介

ボヘミアンがザ・ベストテンスポットライトで流れた日



先日葛城ユキさんがお亡くなりになったという一報を聞きまして、最近まで歌番組で見かけ、最後のステージも亡くなる数日前までこなされたと聞いて目頭が熱くなります。

所属していた夢グループ石田氏のインタビューがニュースに掲載されています。

「命ある以上、歌いたい」葛城ユキさん最後の舞台 夢グループ・石田重廣社長が明かす
週刊ポスト2022年7月29日号
https://news.yahoo.co.jp/articles/393ac05174bf49f47220a7aca60edf827df12c16
> つい先日届いた、歌手・葛城ユキさん(享年73)の訃報。末期の腹膜がんだった。代表曲『ボヘミアン』など“ロックの女王”として人気を博した彼女の最期は、何とも義理堅かった。コンサートのプロデューサーとして付き添った夢グループの石田重廣社長が語る。
 * * *
 私と葛城ユキさんの付き合いは10年ほど。夢グループ「夢スターコンサート」春チームのメインメンバーでした。

 私自身、プロデューサーとして同行し、総数500回のコンサートをご一緒しました。

 私もお酒好きですが、彼女はさらに酒豪。当初は最後までお付き合いした打ち上げも、そのうち逃げるようになりました(笑)。でも葛城さんは深夜まで飲んだ次の日も、朝7時にはホテルで朝食をきっちり召し上がるプロ意識の高い人でした。

 そんな葛城さんのがんが発覚したのは昨年のこと。夢コンサート出演者の病気が続いたので、人間ドック受診を呼びかけたのがきっかけです。

 葛城さんは再検査の結果、原発性腹膜がんのステージ4と判明しました。

 それでも入院前、八戸のコンサートに出てくれて、終了後は「当分、飲めないから」とビールをたくさん飲んでいました。僕は「待っているからね」と伝えました。その後、2度の手術を受けました。

「命がある以上、歌いたい」
 今年4月に退院すると、すぐに「歌いたい」と言って5月のコンサートに出演し、車椅子のまま、『ローズ』を歌いました。

 6月も千葉市で昼の部、柏市で夜の部に出演。昼の部のリハーサルでは車椅子の上で息も絶え絶えで、本番前に私は客席に向かって「今日は葛城ユキの最後の出演になると思います」とアナウンスした。ところが始まると、3~4割の声量かもしれないが、『ローズ』1曲を歌い切ったのです。

 夜の部はさすがに無理だろうと思ったら、彼女は「行くだけ行きます」と言う。でも会場の楽屋に彼女の姿はなく、病院に行ったと思いました。

 ところが、「楽屋裏の駐車場にいる」とマネージャーから電話がきた。驚いて見に行くと、車の中に横たわり酸素マスクをしながら「社長、歌わせて。ステージに上げて」「命がある以上、歌いたい」と葛城さんは言う。

 私はすぐさま彼女のコーナーを作りました。私はステージに上がり「もしかすると彼女の命はあと数時間かもしれない。驚かれるかもしれませんが、これが今の葛城ユキです」と紹介しました。

 葛城さんは車椅子を横倒しにして寝ているような状態で舞台に出ました。さすがに歌えませんでしたが、入院前にステージで歌った『ヒーロー』の映像をバックに、元気だったころの『ボヘミアン』の歌声を流して、客席に「ありがとうございます」と言いました。

 最後に話したのは、亡くなる5時間くらい前です。「これから救急車を呼びます」と本人から電話がきました。葛城さんは生前、「亡くなる前に自分で救急車を呼ぶ」と言っていたので、その時が来たのだと思いました。

 そして、「社長様、どうか最後に聞いてください。健康に気遣って生きてください」と。これから亡くなるという時に、人の体を気遣うなんて……。葛城さんは本当に優しい。死に様は生き様だ、そう思った瞬間でした。


葛城ユキさんはいくつかのお名前でのレコードを出されていますが、葛城ユキとしてのデビューは「哀しみのオーシャン」という曲になります。

なかなかヒットに恵まれない中、葛城ユキとしては7枚目のシングルになるのが「ボヘミアン」になります。

「ボヘミアン」葛城ユキ
発売日:1983年5月21日
オリコン最高位:3位
オリコン年間チャート:1983年 21位
ザ・ベストテン最高位:2位
ザ・ベストテン年間チャート:1983年 22位
売上枚数:41.4万枚
レーベル:ラジオ・シティ
レコード番号:RD-4070

A面:ボヘミアン
作詞:飛鳥涼
作曲:井上大輔
編曲:井上大輔
歌唱:葛城ユキ

B面:グレイの朝に
作詞:東海林良
作曲:井上大輔
編曲:井上大輔
歌唱:葛城ユキ・井上大輔

ボヘミアン
葛城ユキ
2009/7/8

残念ながらB面曲は配信されていないのですが、こちらもなかなか格好良い曲で、個人的には好きであります。井上大輔さんのセルフカバーはWEBにあったような気がします。

さて、このボヘミアンという曲。元は大友裕子さんが1982年に出された楽曲でした。
大友裕子さんもポプコン出身。1978年に「傷心」でデビューされています。これがいいんだわ。

傷心
大友裕子
1978/12/1

大友裕子さんは9枚目のシングルであるこのボヘミアンを出して結婚・引退されているようです。残念ながら大きなヒットには恵まれませんでした。オリコンチャートに登録がないので売上枚数も不明です。

「ボヘミアン」大友裕子
発売日:1982年9月21日
オリコン最高位:-位
ザ・ベストテン最高位:-位
売上枚数:-万枚
レーベル:東芝EMI
レコード番号:ETP-17406

A面:ボヘミアン
作詞:飛鳥涼
作曲:井上大輔
編曲:井上大輔
歌唱:大友裕子

B面:マルセル橋
作詞:飛鳥涼
作曲:井上大輔
編曲:平野孝幸
歌唱:大友裕子

ボヘミアン
大友裕子
2003/3/26



葛城ユキさんの「ボヘミアン」はTBS系のドラマで島田陽子さん主演の「赤い足音」の主題歌として使われ、徐々にヒットしていきます。ドラマは1983年6月22日スタートで、なかなかセンセーショナルな内容です。



1980年代、今とは考えられないくらい金利が高い時代です。郵便局の通常貯金の金利ですら4%台、預金金利より当然に高い貸出金利、特にサラリーマン金融と言われる消費者金融の金利が非常に高かった時代です。
一例ですが1982年のとある消費者金融の金利は年41.975%でした。4%じゃないですよ42%です。
そして、個人の債務者への過剰な取り立てが社会問題していたのもこの頃です。1983年はこれを受けて貸金業規制法(貸金業の規制等に関する法律)が制定された年でもあります。これにより1983年には約23万社あったとされる貸金業者が、1984年には約3万社に激減したと言われています。

アシスト行政書士法務事務所 貸金業法の歴史 
http://legal-cp.com/finance/page05.html

それ以前から起きていた、サラ金バッシング的なテレビなどの取り上げもありますし、現実的に業界そのものが非常にグレーな運用を行っていたこともあり、社会問題としてドラマも取り上げることになります。

この「赤い足音」は私の知る限り再放送はされていませんが、銀行員がサラ金返済のために横領を行う内容自体は非常に衝撃的な内容であって話題になったようでした。新聞の紹介欄を見るだけでもなかなかドロドロで全8回の番組でありました。
島田陽子さんはつい先頃7月26日にお亡くなりになっております。この「赤い足音」は米国ドラマ「将軍 SHOGUN」後最初の連続ドラマではなかったかと思いますので、そういう意味でも話題作だったと。

島田陽子さん死去 69歳、大腸がん闘病 国際女優の一方で波瀾万丈 不倫、借金、ヘアヌード、AV
スポーツニッポン 2022年7月26日
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/07/26/kiji/20220725s00041000745000c.html



さて、ドラマ自体の評価もあったのでしょうが、ドラマが佳境になるにつれて主題歌の「ボヘミアン」も評価され、オリコンチャート50位以内に登場するのは7月に入ってからです。

ザ・ベストテンでは1983年7月28日放送でスポットライトで登場。8月18日に9位にランクインしてから10月13日まで9週ランクインします。最高位は9月22日の2位で、はがきリクエストを多く得られなかったこともあり田原俊彦さんの「さらば・・夏」を破ることはできませんでした。しかし、この週は有線ランキングで1位、レコードが3位、ラジオが4位ですから、当サイトのジェネレータ的にははがきリクエストは16位で総合得点8329点が出現します。



ボヘミアン後も1984年の「ヒーロー」1985年の「ハートブレイカー」などの(ベストテンなどには現れないものの)ヒットを飛ばし90年代2000年代も活躍し続け、歌い続けた葛城ユキさん。ニュースで知るだけとはいえ、最後の最後までステージに立ち続けたという、その気持ちで仕事ができるか?と自分を奮い立たせます。

ヒーロー
葛城ユキ
2009/7/8

ハートブレイカー
葛城ユキ
2009/7/8




最後に葛城ユキさんで思い出すのは、昔某音楽雑誌のアルバム紹介記事で、中村あゆみさんのニューアルバムについて解説しているのに「ボヘミアン」を歌ったことになっているというVOW的な記事を思い出すのです。

哀しみのオーシャン
葛城ユキ
2009/7/8

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