2020/12/30 歌謡曲が好き

2020年を振り返って



今年も早いもので、残すは1日と半日ほど。
月日が経つのがものすごく速くなったのは、年齢を重ねてオッサンになったことも大きいのでしょうが、昨年早々から人々を震撼させてきた新型コロナウイルスによる様々な業種への影響、そしてそれが、趣味にもかかわってくる。そんな1年を過ごしたこともそう感じる理由でしょうか。

「新型肺炎」と言っていた最初の頃から、4月の緊急事態宣言、そしてその後落ち着いてきたことによるGoToトラベルなどの需要喚起。そして「第三波」などという、真偽もわからない再度の感染者の拡大。それぞれに私たちの生活は揺さぶられ、しかし、日々の生活は待ってくれませんから支払いもしますし学校、職場もいかなければなりません。

このサイトの範疇で言えば、ライブ、コンサートがとかく制限された一年になりました。2月26日に東京ドームコンサートを直前に中止したperfume、その後大規模、小規模問わずコンサートは軒並み中止。その結果現在音楽活動をされている方ほぼすべてが収入が途絶えることになります。CD・レコードが売れない世の中です。ライブ現場で購入するグッズも貴重な彼らの収入源。そして、コンサートを設営し、警備し、そこにファンが訪れることでの経済効果を考えた時に、オンラインでやればいいと冷たく言い切ることは難しいことであります。

しかし、逆手に取った形では、新潟を拠点に活動するNegiccoが「Negiccoオンラインライブツアー2020夏、配信巡り」と称して、もともとライブを行う予定だった新潟県内5会場で配信ライブを行ったのも、自分たちだけ収入を得るではなく、ライブ会場を借り、ライブのための音響、照明、そして一部の会場ではバンドも入れた形にすることで地域のプロモーター、事業者へ還元する観点がありそうです。そして配信視聴の金額は非常にリーズナブルな1500円からとなっており、私のような現地に行くことが難しいファンも視聴できた形です。しかし、現地に行かなければやはり回るお金は大きくないのです。

政府のGoToトラベルを各メディアが批判した理由は定かではありませんが、多少の宿の割引という需要喚起を行ったら、現地へ移動するために交通機関を使用し、宿に泊まれば必ず食事をすることになります。観光施設を一つ訪問するでも交通機関なりレンタカーなり現地で必ず金銭を使う。旅行に行くためには最低限の服装も必要です。衣食住を「行った先」で使う、さらにクーポン券は行った先と隣接県しか使用できず、しかも翌日までの期間限定ですから、主に必ず地元で消費される。「旅行業界しか助けない」ではなく、旅行先のすべての分野の人を助けるための施策ではなかったかと思うのです。

結果GoToトラベルの中止で、多くの観光地、そして、その観光地で生きている方々、その雇用も危うくなっていく。もちろん政府の風見鶏的な政策は批判されましょうが、この事業自体は地方にもう少し頑張れば大丈夫というメッセージになっていただろうとも思うのです。結果、マスコミは地方観光地を見捨てた。そういう報道を行ったのです。地方新聞ですらその論調でしたから、残念ですが地方の観光地の生き残りよりも政権批判の方が大事だった。そして、GoTo中止が決まってから「地方観光地が悲鳴」と記事を作るのです。どちらに転んでも政府はひどいと記事を作れる。

このサイトでは、もちろん感染対策を行ったうえで、限られた少人数で、少し出歩くことが必要だと書いたかと思います。結局もはや出歩くことすら悪となってしまった。飲食店が悪い、ライブハウスが悪い、観光が悪い、報道が「仮想敵」を作り出し批判しまくった結果、すべてダメになりました。

当サイト管理者がやっと見つけた「歌謡曲を楽しめる店」は、残念ながら閉店されました。閉店の作業も手伝って、一部の設備を引き取って、もしかすると将来なにかできるかな?という夢も希望も今は望めそうにありません。年末には同じフロアにあってたまにお邪魔していた特撮バーも閉店されるということですが、もはや私のできることもなく、悲しいかなもうお邪魔することもできません。

私の趣味を一部を奪った新型コロナウイルスは憎いですが、それ以上に、流され、本当は何が大事なのか理解しない、そして、相手に寄り添うことができない社会のようなものに本当に絶望しながらも、私は私の人生を、そして家族を守っていく必要があります。そういう様々なことを考える機会になったと前向きに捉えるほかありません。


昭和歌謡の世界では今年も訃報が相次ぎました。もちろん、人間いつかは亡くなってしまいます。そして、生前何かを残して、それを残されたものが新たな活力として次世代に繋いでいくことが大事です。辛い悲しいと下を向くのは仕方がありませんが、どこかで前を見直して、次世代の人たちが、あの時残してくれたもので自分たちは助かった、自分たちも次世代に残していこうと積み上げていくような世の中の循環になっていくのが理想です。紙やモノとして残せるものから電子化されて残るものにシフトするのは、それを次世代が活用できるかがカギです。100年前のレコードは今でも多くが再生可能です。しかし、わずか30年前のレーザーディスクを再生することは非常に難しい。MDプレーヤだって、稼働できるものはどれほど残っているのか。これがパソコンの中だけのものなら、それを新しい規格にアップデートしていかなければ将来の人は見ること聞くことができない。そして、今、「これは残さなくていいんじゃないか?」と捨ててしまうデータに本当に必要なものがあるのではないか?それがすごく気がかりです。

今配信でヒットする曲が100年後も再生できるように、私たちは今あるものと教訓を次世代に残していかなければならないし、先人たちが築き上げたものを、どうにかそれがあったことを残していかなければならないのだ。そう思うのです。

本年の更新はきょうで終了します。当サイトを閲覧いただいたすべての方に感謝を。そして新しい年もどうぞよろしくお願いいたします。
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