2014/09/30
歌謡曲が好き
ラジオが好き
城達也になれなかった話①
クロスオーバーイレブンを聞き終えた23時50分。NHK-FMはAMと同時放送のニュースがはじまる。全国のニュースが5分、その後地域のニュース天気予報だったように思う。そして、午前0時の時報の後コールサイン、国歌が演奏され放送が終了する。
後年NHKはラジオも深夜放送を開始し、今ではほぼ24時間放送となったが、ワタシがよく聞いていた時期はここまで聞いて眠るのが定番であった。
余談だがNHKラジオの深夜放送は1988年に昭和天皇の容態悪化を伝える関係で停波しないためにはじまり、深夜もイージーリスニングやクラシックを流し続けたのが好評で現在の「ラジオ深夜便」に繋がった。ワタシと同様民放の「がちゃがちゃした」ラジオを好まない人がそれなりに多かったということなのだろう。
さて、余談が長くなったが、もう少し余談におつきあい願いたい。NHKが停波してしまうと、それまでのワタシはそれこそ民放AM局にダイヤルを合わせるのもはばかられ、眠ることにしていた。私の住む田舎町は民放FM局の入りが悪く、とても雑音の中聞けるクオリティでは無かったのだ。NHKは基本的に全国で聞くことができ、私の住む街でもクリアに聞くことができた。
ある夏の日、ワタシのラジオに遠く離れた福岡県のFM電波が飛び込んできた。これは夏の日中によく発生する電離層異常(スポラディックE層)によるもので、いつ発生するか予測することは難しく、数分から長くても1時間以内に消えてしまう。そうするとさっきまではっきり聞こえていた番組が聞こえなくなる。
少々電気に興味がある私は自宅の屋根に上り、近所に捨ててあったテレビのアンテナを改造したFMアンテナを自作して設置した。もっといろんな地域の放送を聞きたくなったのだ。そして短波からFMまで広く受信できるラジオをなけなしの小遣いで購入した。ちなみにこれが小学校6年生の頃である。
これの効果はすぐに現れた。地元の民放FMラジオが奇麗に聞こえるようになったのだ。北海道で民放FM局が開局したのは1982年。全国では6番目と比較的早かったものの、札幌以外の地域での展開は遅れ、現在でもまだ聞けない地域が多く存在する。ワタシの住んでいた街もそんな街の一つだった。
深夜、屋根から換気口を通してワタシの枕元のラジオに取り付けられたアンテナ線はいい働きをした。それまでも奇麗に入っていたNHK-FMはそれ以上に奇麗に聞こえた。そしてワタシは午前0時FM北海道にダイヤルを合わせた。
余談が長くなりすぎた。城達也の話は次回にお預けとしよう。ちなみにこの頃聴取できた各局に受信報告を送ると、ベリカードと言われる受信確認証が送られてくる。これはワタシの宝物になっている。
ただ、受信報告を行ったことで、ワタシの住んでいた地域はもしかするとFM北海道としては受信可能地域と認識されている可能性があるのは今となっては反省する次第である。21世紀を迎えた今もワタシの実家ではろくに民放FMは入らない。
(昨今ではネット経由でRADIKOで聞けるので、それほど困らないのだろうが)