2019/12/10 歌謡曲が好き ザ・ベストテン

ビートルズ後、ザ・ベストテン後



ジョン・レノンが銃弾に倒れて40年近く経ちます。彼がメンバーであった(こういう説明も必要になると思うのです。当たり前だろ?なんて言ってはいけないのです)ザ・ビートルズが初来日したのが1966年。そして、彼らを熱狂的に聞いていた当時の「若者」の方々は、既に70歳程度になってるわけです。

ソロ活動を行っていたジョン・レノンが、銃弾に倒れた1980年12月8日。この当時私はまだ小学校低学年。何か凄いニュースがあったらしいことは判ったにせよ、彼らの音楽は全く知らないわけです。


1996年、真心ブラザーズが発表したシングル「拝啓、ション・レノン」は物議を醸した楽曲であります。私にとってジョン・レノンは「教科書の中の人」である世代、そして、私より少し「お兄さん」な彼らもまた、ビートルズ来日時は生まれて間もないくらい。つまり、ビートルズに間に合わなかった世代。

「拝啓、ション・レノン」にはこのような歌詞が含まれます。

拝啓、ジョン・レノン
ジョン・レノン あのダサいおじさん
ジョン・レノン バカな平和主義者
ジョン・レノン 現実見てない人
ジョン・レノン あの夢想家だ


この歌詞を盲目的に批判と結びつけ、放送禁止としたラジオ局もあったとのことで、ただ、実際にビートルズに青春を揺さぶられたであろう当時のラジオ局の上層部の方々は、この歌詞を許すことはできなかったのだろうとも思うわけです。今やスーパースターでも不用意な発言をすれば批判される世の中ではありますが、彼らの中でのスーパースターは批判することを許さない「完全無欠なもの」であるわけでしょう。そして、彼らにとって「ビートルズを知らない」若輩者がジョン・レノンの批判などするのは烏滸がましいという意識もあったことでしょう。

しかし、1967年生まれの真心ブラザーズYO‐KING氏にとって、歌詞の通りジョン・レノンは「僕があなたを知ったときはブルース・リーと同じようにこの世にあなたはいませんでした」なわけです。そこから「十代中頃でファンになってから、一番かぶれていた二十歳の頃」後追いでビートルズを聴き、ジョン・レノンを聴き、そして、「ビートルズを聴かないことで 何か新しいものを探そうとした」が、結局今の音楽はどう頑張ってもビートルズから離れることができなかった。そういう意味があるわけでしょう。(もちろん私が倉持氏にお聞きしたわけでは無いので、真相はわかりませんが)



真心ブラザーズと同世代である1966年生まれの斉藤和義氏は「僕の見たビートルズはTVの中」という楽曲を発表しています。1993年の彼のデビュー曲になります。「おじさんは言う「あのころはよかったな」わかる気もするけど タイムマシンはない」フォーク調の楽曲で、そのおじさんが好きだったであろう音楽を使って、そして、あのビートルズをリアルタイムで知っている「おじさん」に向かって、共感も憶えつつも、そうじゃないだろ?って批判(というより鼓舞)してるように聞こえるのです。歌詞を全て貼りはしませんが、楽曲を発表して25年以上経つ今も、この歌詞は「おじさん」である自分に恐ろしく刺さってくるところがあります。そして「おじさんは言う「日本も変わったな」お互い棚の上に登りゃ神様さ!」ネットでちょっとSNS開けば、日本は変わった○○のせいだ!みたいな発言は幾らでも見つけることができます。○○人が悪い!と他国のせいにするかもしれませんし、○○党が悪い!と特定の政党の責任にする発言も見られるでしょう。

「お互い棚の上に登りゃ神様さ!」年齢が上であることだけしか差が無いのに、今時の若い者は!オレたちの頃はこんなだったんだぞ!と先輩風ふかすような人に、自分はなりたくないけれど、どこか自分もそれを感じているということでもありましょう。当時斉藤和義さんは20台も後半、曲の前半には「短くなるスカートはいいとしても」当時の若者ファッションであるミニスカートだったりする若き女性を若干揶揄する目があったりするのかもしれません。「いいとしても」は、心の底では「よくないこと」という意識もありましょう。

そして、多分この歌が最も言いたいのは、1966年にビートルズに熱狂し、その後ジョン・レノンの「愛と平和」を訴える曲を聴いてきた世代が「ブラウン管には今日も戦車が横切る」(ブラウン管とは当時のテレビの画面を表示する装置のこと。今なら液晶テレビの液晶部分ですね)ことを平然と行って、そして、「今時の若者は~」と誰かを批判することでしか己のアイデンティティを表現できないことを怒ってるんじゃないのか?そう思うわけです。そして、今の若い者に対して責任を感じるような大人になりたいという意味もあるのかなと思ったりします。(あくまで当サイト管理人の思ってるだけのことです。斉藤和義さんにお会いしたこともありませんしその様な発言も聞いたことはありません)

僕の見たビートルズはTVの中
斉藤和義
1993/9/26


そして、その言葉の端には「ビートルズをリアルタイムで体験したかった」という憧れと、その当時体験することができた世代へのやっかみが含まれているようにも思うのです。だからこそ、形は違えど真心ブラザーズはジョン・レノンを一度腐してから「ステレオから流れてくるあなたの声はとても優しい」と歌い、斉藤和義さんは「なぜだか妙に“イマジン”が聞きたい、そしてお前の胸で眠りたい」と歌うわけです。どちらも、今できないこと、経験できなかったことを歌っているのですね。

この2曲は他のサイトでもよく1960年代を体現できなかった世代が作った「ビートルズ」を取り上げた曲としてよく見かける楽曲ですので、私のようなチンケな言葉よりもよほど価値があってためになるとも思いますので、まかり間違ってこのサイトにたどり着いてしまった方は、是非この2曲をワードに検索頂いて、より深く曲を感じて欲しいなと思います。この2曲が流れていた頃20代前半だった私は、ビートルズを改めて聞いてみたわけです。



1970年代に生まれた私たちは「ベストテン」世代な訳です。当時から考えると新世代の歌手であった「アイドル」というみなさんに熱狂していくことになります。当時の「おじさん」たちが言う「歌詞に意味が無い」とか「歌が下手」とかいう批判を受けながらも、自分達がアイドルを育てていくんだということができた(ベストテンではハガキのリクエスト数が順位を左右していたし、レコードの複数枚買いで順位を支えるようになったのもこの時期からです)という達成感が感じられました。
特に下位に低迷するアイドルはその様なファンの支えが無ければ1週たりともランクインできないほど上位が固定され、なかなかたくさんの歌手が出られるような番組では無かった面があります。ベストテン式での歌番組は、歌手の人気にランキングを付ける行為そのものなのですから。
そんな中で「ビートルズを聞いてないヤツはクソ」とか言われたところで、そのビートルズに「ランキング的な」価値を見いだせない以上それを誰しもが聞くということは無かったと思いますし、難しいことです。

そして、当時ランクインしていたほとんどの歌手は「ビートルズをリアルに聴いていた世代」そして、楽曲はもっと自由であってもいいんだという「ビートルズ」後を当時のアーティストも楽曲制作陣も(多分)無意識に作っていったのだとも思うわけです。結果、アイドル曲であってもジャンル分けすれば様々で、ロックもフォークもニューミュージックも、そして、それらの「世代」アーティストが楽曲を提供していくわけですから、熱狂しないわけがないのです。この多様さが当時の歌番組の華やかさに繋がっていくし、演歌も含めたノージャンルでのランキング番組が「お茶の間歌謡」として老若男女みんなが歌えるという時代、年末年始に親の実家で子供が演歌歌っておじいちゃんにおひねり貰ったなんて記憶がある世代です。

この記憶から、「おじさん」になった私たちが、今の「若者向け音楽」であるAKBやEXILEを大人数の歌へただの、最近出てきたようわからんヒップホップグループなどと揶揄したところであの時代の音楽が振り向いて貰えるわけではないのです。まして、あの時代の歌番組を見ていたから、今の歌番組を批判して過去を持ち上げたり、「あのころはよかった」と言うのはやはり恥ずかしいことだとも思うのです。それは、あの頃「ビートルズを聴いてないヤツはクソ」とか言い放った「おじさん」への反骨です。そして、カラオケ全盛世代の私たちが後輩達にカラオケを強要するようなことはあってはならないのです。

大事なのは、ベストテン後の世代に対して、これ凄いでしょ!と強要しないこと。世代では無い私がビートルズを凄いなぁ!と思ったように、世代では無い人も実際にあの時代の歌番組を見て凄いなぁ!と思ってくれればそれでいいんだと思うんです。そして、今メジャーなレコード会社に所属すること無くネットで活動するような凄い曲達、私なんかが思いもつかなかった音楽シーンを、どんどん吸収して、次の世代に送り出していいってほしい。そう思うんです。

ただ、80年代歌番組は「やり過ぎ」た。無謀な中継はその後の各現場でタブーになり、その後同様の企画はできなくなった。お笑い番組なんかでも実際そうだよね。危険なセットで笑いを取ってた80年代と同じ事はもうできないし、それを今批判したところで、できなくなった理由は「笑っていた私たちの責任」でもあるわけです。



2010年に槇原敬之さんがSMAPに書いた曲。B面(カップリング)としてですので、あまり有名ではないかもしれませんが、「Love&Peace Inside?」という曲があります。ビートルズともジョン・レノンとも言っていません。直訳すれば愛と平和はあるかい?
愛と平和を高らかに歌いながらも身近な人に対して、仲間に対して平和的ではなかったといわれるジョン・レノン、そして、「僕の見たビートルズはTVの中」で多分意識したと思われる、遠くで起きている悲しいことよりも、身近な問題が大事とする「傘が無い」オマージュも含めて、その身近なこと、対身近な人に対する「平和」が、最後は世界平和に繋がるんじゃないかと、みんな頭の片隅では戦争の無い世の中なんかできないとは思っているけど、でも、今目の前の問題を解決して、つかの間の幸せに浸りたい。もちろんそれがダメではないけれど、たしかにそれは一歩は踏み出してるとも言えるんだよね。

Love&Peace Inside?
みんなが平和をこんなにも望んでいるというのに
どうして争いは続くのと話していた
そのすぐ後で些細な事でけんかを始めて
口も利かないでいるなんて
平和を望んでいる様にはとても見えないだろう

目の前の相手ですら、簡単に怒らせてしまうことができる。平和的に解決できないことは多々あって、そんな身近な争い。せめてそれを誰かのせいにしない、誰かが悪いから自分は悪くないのアイデンティティにしたくないな。今や「反戦歌」は流行らない。でも争いは絶えない、そして、この曲で、一つでも身近な争いが終わるなら素敵なことだな。そんなことを思ったりする曲。(楽曲は貼れない)



もし、今後、松田聖子さんや中森明菜さん、田原俊彦さんや近藤真彦さんを腐したような歌詞を並べられて、でも、あなたの時代の歌は素晴らしかった、きらびやかだった、そんな曲が出てきても「怒らないでいられる」か。先輩達の良いところを見習って、悪いところを変えていきたい。もちろん自分を振り返っての話。「ザ・ベストテンを知らないヤツはクソ」なんて言わない。そして、どれだけ「バカな平和主義者」と言われようが、いつか世界が平和に満たされますように。LOVE&PEACE♪

拝啓、ジョン・レノン
真心ブラザーズ
2009/9/2

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