2019/08/15 ザ・ベストテン 小沢昭一

8月15日とザ・ベストテン


目次
  1. 1985年のザ・ベストテン
  2. ※追記

1978年から1989年まで続いた伝説の歌番組ザ・ベストテン。その中で終戦の日である8月15日に放送されたのは1985年の1回だけになります。


TBSテレビ ザ・ベストテン 1985(昭和60)年8月15日
https://www.thursdayonion.jp/bestten.php?rb=0&re_rk=bt&re_ymd=19850815

1985年のザ・ベストテン

1985年のザ・ベストテンは4月で久米宏氏が司会を降板、その後は日替わり代打司会で乗り切っていました。そしてこの日の司会は小沢昭一氏。TBSラジオで長年「小沢昭一的こころ」を担当されていたことでも知られる方です。

1985年は終戦から40年という節目の年。当然にまだまだ戦争を経験されている方も現役であります。この日のテレビ番組表ではその一端が伺えます。今のテレビ欄に比較すると戦争経験者がテレビ局の現役局員としてまだ多数おられ、証言もまだ得やすい環境であることが伺えます。

さて、ザ・ベストテンは中盤、スポットライトで小沢昭一氏が「ハーモニカブルース」を披露します。

「ハーモニカが欲しかったんだよ。ハーモニカなんて売ってなかった。戦争に負けたんだ。かぼちゃばっかり食っていたんだ」

今、私たちはハーモニカを自由に入手できて、自由に吹くことができる。この曲はいろいろな解釈ができましょうが、子供心に刺さるものがありました。


この年、番組のわずか3日前の8月12日、羽田を飛び立った大阪行きJAL123便の事故。搭乗者名簿に坂本九氏の名前がありました。長くテレビに従事され、坂本九氏とも親交の深かった黒柳さんの悲痛な表情が今も思い出されます。全体的に明るさを落としたような、いつものベストテンとはちょっと違う感じ。そして、このハーモニカブルースで、出演者はみな涙を隠すことはできなかったのです。黒柳さんはまだ安否のわからなかった坂本九氏にふれておられました。そして、何人かの生存者がいたことはわかっていたものの、その中に坂本九氏がいないことを確信しておられたとも思うのです。

キラキラした歌番組の世界。そこに時事を織り交ぜた生放送ならではの緊張感。それがザ・ベストテンでした。単なるヒット曲披露の番組ではなく、その日、そのときを感じる情報番組の側面がありました。その融合がこの番組を不動なものにしていったともいえるかもしれません。しかし、久米さんの降板以降徐々に番組終演の足音が聞こえてきだすのも感じました。代打司会シリーズもここまで続くのは予想していませんでした。

※追記
その日の映像がyoutubeに上がっていました。もちろん違法的なものではありますが。(削除されたようです)

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