2019/07/16 歌謡曲が好き

アイドル界の「年少者」に対する大人たち


目次
  1. 「この世のだいたいのことはオッサンが作っている」
  2. 演者とスタッフは「家族」なのか
  3. 「家族」を履き違えた「肉体的な関係」
  4. 女性アイドルの売り方と「歌詞」

アイドル界の「年少者」に対する大人たちの思惑。これを記事に書こうと何回か書き進んで、何度も書き直して、そして公開できなかったという部分があります。

もちろんその行為自体が気持ち悪いという性的な嫌悪ももちろんあって、それについては当然性的少数者の批判になってはいけないという観点からも熟慮して書かなければならないと思いますと、何度も表現を書き直し、何度もその行為内容を確認するという部分でも、辛いことの一つではあるわけです。

しかし、これを機会にといってはいけないのかもしれないけど、健全な、アイドルを目指す年少者にとって幸せな芸能界になって欲しいなとも思うわけです。

こんなアクセスの少ない、社会的に何の影響もないサイトで書いても何も変わらないかもしれませんが、多くのメディアや個人ブログでも「賞賛」しか出てこないところを考えても、何らかの発信をする意味があるのかなと思い、この記事を書いています。



「この世のだいたいのことはオッサンが作っている」

数年前、NHKのコント番組「LIFE!」でのコントの一つです。内村光良さんやドランクドラゴンの塚地さんが扮するアイドル歌手のプロデューサーなど「中の人」がアイドルの「等身大」な歌詞を考えたり、挨拶など言動そのものを全て作っているという、なかなかに突っ込んだ内容のコントです。

実際にアイドル歌手のライブでの挨拶内容等も含めて演者であるアイドルの耳に付けたイヤモニに指示が出て、その通りに話しているなんていう例も見聞きします。これはもちろん演者がステージに上がってしまえば頼れるものがない以上仕方のない部分ですし、まして今のライブは「失敗」が許されない。終演時間なども含めて完全なタイムスケジュールで行わなければならない以上、フリートークといっても「フリー」にできない事情があるともいえます。

それも含めて「完全」を求める以上、演者は「演者」になりきるしかないような状況もあるわけです。そして、その「完全」は、「おっさん」が望むアイドルの形だったりというのが今のアイドルの形なのではないかとも思うわけです。



演者とスタッフは「家族」なのか

よく、アイドルはスタッフと「家族のような」存在ですとコメントするのを見聞きします。演者だけでは成り立たないステージで、裏方であるスタッフと息の合った状態が作られなければうまくいきません。ですので、演者に近いスタッフは基本的にコロコロ変わることは少ないでしょう。それが「家族」とされる所以でもあろうかと思います。そしてファンがコールするなどの要素を含めてステージが出来上がっていく。最後に「客」というピースがあって成立するものではないかと思うわけです。



「家族」を履き違えた「肉体的な関係」

さて、男性アイドルを多数輩出してきたジャニーズ事務所の創始者であるジャニー喜多川氏に対しては以前からまことしやかにささやかれる闇の部分がありました。それがセクハラ(性的虐待)問題です。これが初めて公にされたのはフォーリーブスに所属していた北公次氏の著作「光GENJIへ」です。光GENJIがスターダムに上り人気を博していた1988年12月に出版され、その内容は衝撃的でありました。
その後も木山将吾氏が2005年に出版した「Smapへ」などでもそのおぞましい醜態をさらけ出しています。

とはいえ、これらの本の内容が正しいかどうかというのは、あくまでジャニー喜多川氏と最終的に利害が対立する方の書いたものである以上、慎重にしなければならない部分でしょう。

ジャニー喜多川氏の死去について国内メディアでこのことを取り上げたものは皆無でしたが、海外メディアでは

BBCニュース
https://www.bbc.com/japanese/48932441
>1999年には、喜多川氏が少年たちを事務所で性的に虐待していると告発する一連の記事を、週刊文春が掲載した。
喜多川氏は告発内容を全面否定し、週刊文春を名誉毀損で訴えた。裁判には勝訴したが、のちに判決の一部が覆された。同氏が犯罪に問われたことはなかった。

>一方で、物議をかもす人物でもあった。どれも証明されなかったが、パワハラと性的虐待の告発が繰り返された。ジャニーズ事務所は業界であまりに圧倒的な存在だったため、ジャニー喜多川氏を批判することはほとんど不可能だった。強大なジャニーズ事務所を脅かそうと挑む人は、日本の主要メディアには皆無だった

このように性的虐待を扱った記事があったわけです。記事にある「裁判」ではどのような判決が出ていたんでしょうか。

ジャニーズ事務所とジャニー喜多川氏は週刊文春が1999年から掲載した追及記事で、名誉を毀損されたとして民事訴訟を起こすことになります。

この裁判について扱ったメディアは当の週刊文春以外はほぼ皆無であります。
私もかなりネット上をさまよったあげくに見つけたのはこの記事くらいです。

milkjapan.com
【国内】ジャニーズ事務所・週刊文春損賠訴訟第1回口頭弁論
http://www.milkjapan.com/2000kn13.html
昨年10月から続いている「週刊文春」(文芸春秋社)の告発記事で、名誉を著しく傷つけられたとして、ジャニーズ事務所と同社長のジャニー喜多川(本名:喜多川擴(きたがわ ひろむ))が、文芸春秋社と取材記者らを相手取り、1億2000万円の損害賠償と謝罪広告を求めた訴訟の第1回口頭弁論が先月19日、東京地裁で開かれた。ジャニーズ側代理人は「記事は事実無根」としており、対する文春側も「内容はすべて真実。ぜひ社長自らが法廷に立ち、自らの潔白を証明してもらいたい」と主張している。次回は来月29日に行われる。


milkjapan.com
http://www.milkjapan.com/2003fn12.html
東京高裁・ジャニーズ事務所社長のセクハラ認定、賠償減額
所属タレントにわいせつ行為を繰り返していたなどと、「週刊文春」が1999年10月以降に掲載した記事で名誉を傷つけられたとして、大手芸能プロダクションの「ジャニーズ事務所」(東京都港区)とジャニー喜多川(本名・喜多川拡)氏が、発行元の文芸春秋らを相手取って合計1億700万円の損害賠償を求めていた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は今月15日、昨年3月の1審東京地裁判決で出された880万円の賠償額を120万円に減額した。
判決理由について矢崎秀一裁判長は、「少年たちの証言は具体的で信用でき、記事の重要部分について真実性の要件を満たしている」とし、セクハラ行為があったことを初めて認定した。ただし少年らによる飲酒や喫煙が日常的に行われているといった一部の記事については名誉棄損を認めた。


ここで争われた争点は

  • ジャニー喜多川は少年らが逆らえばステージの立ち位置が悪くなったり、デビューできなくなる状況に乗じてセクハラを行っていること
  • 合宿所などで少年らの日常的な飲酒、喫煙を認めていること
  • 学校に行けないような無理なスケジュールを課していること
  • ジュニア4人が起こした万引き事件の報道を封印したこと
  • フォーリーブスのメンバーに対して非道なことをしていること
  • 関西出身のジャニーズは給与などの面で冷遇されていること
  • かねてより所属タレントは給与が少ないなど冷遇されていたこと
  • チケット購入の際、手数料がかかるなどファンを無視したファンクラブを運営していること。ジュニアと付き合っているファンに対し脅したこと
  • マスコミはジャニーズ事務所を恐れ、追従していること

  • で、2002年3月27日の1審では「無理なスケジュール」「関西出身ジャニーズへの冷遇」「ファンの酷い扱い」「マスコミの追従」を認定したものの、文春側に880万円の損害賠償を命じています。文春側がこれを不服として控訴した2審では損害賠償額は120万円に減額されます。これは新たに「所属タレントへの同性愛行為」が認められたわけですね。
    減額を不服としたジャニーズ側が上告したものの最終的に最高裁に棄却され、この裁判は確定しています。


    それ以前に国会でも暴露本を受けて「第147回国会青少年問題に関する特別委員会」でジャニー喜多川氏のセクハラ問題、また飲酒、喫煙、長時間労働など児童福祉法に関する質問がなされています。

    国会 第147回国会青少年問題に関する特別委員会
    http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/147/0073/14704130073005a.html

    のちに宝塚市長となる阪上善秀議員がかなり突っ込んだ質問を行っています。(その後阪上氏は市長時代に収賄で逮捕される)
    ここでは「厳重注意、始末書をとった日時、ちょっと手元に資料を持ち合わせておりませんが、間違いなく厳重注意、始末書処分をいたしておるところでございます。」と少なくとも未成年者飲酒、喫煙についてはジャニーズ事務所に対して警察庁も厳重注意を勧告、始末書を取るなどの警察的な対応はされています。こうなりますと、裁判で認定された部分も含めてジャニーズ事務所が少なくとも2000年頃まで、未成年者アイドルに対して少なからず一般の社会常識に反した行為を黙認、また、その様な行為を行っていたと断定することが可能かと思うわけです。

    この国会委員会答弁では、ジャニーズ事務所に入所した地方出身者が身寄りとする事務所に対して「親権」に類するかどうかというのも議論があります。あくまで一般的な感情ではありますが、親元を離れ事務所内の合宿所で共同生活を行うことに対して、親権はともかく、事務所は責任を有するわけです。そのなかで飲酒、喫煙などの行為だけでなく、喜多川氏からの性的虐待があったと認定されている以上、アイドルの親の立場ならあまりにも恐ろしく、怖いイメージになるわけです。

    ただ、その肉体的、精神的な拘束行為そのものが、ジャニーズ事務所のアイドル全体が「仲間」というより「家族」として運営されていく、また、その関係性から「芸能」「エンターテイメント」としての一体感などが生まれるという側面もあったかもしれないと思う部分でもあります。ですからジャニー喜多川氏の「エンターテイメント」を造り上げ、エンターテイナーを育て上げる裏方としての評価そのものは揺らぎのない事実だろうとも思うわけです。しかし、それを実現するために未成年者も含めた低年齢のアイドル予備軍なメンバーを傷つけていたのもまた事実なのではないかと思うわけです。

    しかしながら、これらの記事はほとんど大手メディアでは扱われることはありませんでした。ジャニー喜多川氏が亡くなり、現在のジャニーズ事務所ではコンプライアンス重視の運営をされていると信じたいところですが、元のこれらの不法行為が認定されながら、それに反省も無く、無かったことにするというのも、何か引っかかるものを感じてもいるわけです。また、少なくともこのことを報じた大手メディアはほとんど無いのも、国の息がかかったNHKも含めて情報の忖度ができる世の中であることを表しているわけで、非常に恐ろしいことだとも思うのです。


    女性アイドルの売り方と「歌詞」

    さて、80年代のアイドルといえば、寮生活や作詞家、作曲家の家に居候するなどの、寝食を共にすることでの二人三脚的な話をよく聞いたものでした。

    アイドルが品性高潔とは限らないわけで、当時のアイドルが自宅から寮なり関係者宅に居候し社会経験を積んでデビューを目指すというのは一定行われていたことなのでしょう。しかし、当時も大人たちによるアイドル予備軍への性的暴行等の話は噂話程度とはいえ耳に入ってきたところです。

    ここでも関わる「大人」に逆らってしまうとデビューできない、売り出して貰えないという弱みの部分を握られたことでのものでもあります。最近でも未成年者への性的暴行で芸能事務所社長の逮捕などは起こっており、事実と認定できるところでしょう。比較的マシな事務所と思っていたところでも「旅行に同行し、隣で就寝」と「マッサージ」などのメンバーへの不適切なセクハラ、パワハラ行為があったと認定された例などもあるわけです。


    また、アイドルの売り出し方自体も疑問な例がありますね。物議を醸したおニャン子クラブの「セーラー服を脱がさないで」にしても、小学生アイドルユニットであったねずみっ子クラブの「ねずみ算がわかりません」にしても未成年である女性アイドルを性的対象にした上で、その性を売り出している部分ではあるわけで。これは今のAKBのメンバーが下着姿でPV出演し、同性でキスさせるようなものも含め、あくまでも女性アイドルを一定の性の対象として売っているという観点があるのです。

    秋元氏の批判というわけではなく、秋元氏一人だけでそれができるわけがないので、冒頭の「この世のだいたいのことはオッサンが作っている」に繋がるわけですが、一定のオッサンの歪んだ性的な妄想がこれらのアイドルを造り上げることになってしまったのではないか?とも思うわけです。そして例えば世の男性教師は「およしになってねTEACHER」や、昨今AKBが歌った「Teacher Teacher」のように若い女の子にモテて、そういう行為を生徒からしてもらうはずというあまりにも気持ち悪い妄想を隠してもいないのではないか?これは森昌子さんの唄った「せんせい」とは大きく違う性の価値観だと思うのです。

    つまり、一部の女性アイドルグループに関わる「おっさん」達は、一定の未成年少女への援助交際を肯定するような観点を持っているのではないだろうか?AKBの初期曲に見られるおニャン子クラブ顔負けの際どい歌詞など、こんなことをしてはいけない、こんな歌詞を歌うようなら親としてとてもアイドルやらせられないと思っても不思議ではないようなもの。

    先日書きかけてやめた「月曜日の朝、スカートを切られた」もそうなんだけど、ある一定の女子はこうあってほしいという理想論みたいなものも見え隠れするんですよね。実際はそうじゃないよ。多数のメンバーがいればみんな違った意見を持つ個々なのだよと。


    しかし、ここでも、彼らに気に入られないと世に出られないというシステム上、それに耐えた者だけが世に出るスタイルなのではないか?そう思わせるものがあるわけです。本気で「表に出る」ことだけ考えるならそれを積極的に進めるメンバーというのがいたって、それを諫めることはできないのです。


    そして、「共同生活」といっても同じマンションに住むだけのような管理になっているアイドルグループでは今度はファンによる暴行未遂のような事件まで発生する始末です。

    昔から親などから「芸能界は怖いところ」と芸能人になることを諦めざるを得ず泣いた子達も多かったでしょう。しかし、自分がそれなりの年頃の子を持つ親として思うのは、世の中の権力(本人がそう思ってるか思ってないかはともかく)を持つ者が必ずしも人格者では無いということ。そして、自分がやりたくないことはやらなくても良いし、自分が見せたくないものは見せなくてもいいということ。そして、それを殺すことができるのがアイドルだとするならば寂しいことじゃないですか。


    男性アイドルグループでも女性アイドルグループでも一定の妄想を書き立てて売っていくのはわかります。80年代に見られた水着で歌うなどは随分少なくなりましたが、今でも大型音楽番組では男性アイドルが上半身裸で歌い踊ったりするわけです。少なくとも未成年のアイドルには水着や裸での活動をさせないなどはあってもいいのではないか?歌詞に直接的な未成年淫行を想像させるものは抑えられないか?など(もちろんこれは表現の規制の問題になるので一概には言えないのだが)思うところでもあるのです。


    だいぶとりとめなくなってしまったのでこの辺で。こんなとりとめのない文ですら何度も書き直すんだから、この問題根深いし、批判も多いし、難しい問題でもあります。
    新:宇沙美ゆかりさんのシングル楽曲を聴いてみる
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